Vermeer Avenue
One of my dreams is to see all paingtings which were painted by Johannes Vermeer.





The Girl with a Pearl Earring
The Hague, Mauritshuis (Holland), Johannes Vermeer 1665



この絵を見てあなたはどのように感じますか?これはフェルメールの作品の中でも最も有名なものであると考えられます。僕がこの絵を初めて知った時、言葉もなくただ見いった事を覚えています。青く綺麗なターバン、、この暗い背景に穏やかに差し込む光。でもそれらはこの絵の単なる構成要素にしかすぎません。最も僕に印象づけたのは、彼女の瞳ではないかと思われます。今にも動きそうで、かつ誰かに話しかける寸前の様にみえながら、かつ何かにおびえている様子も見れました。僕は個人的に薄命の女性を好むので、この絵を気に入るのもわからなくもない、といったところですが。

当時、1990年頃になりますが、僕はフェルメールの名前すら知りませんでした。この絵を何かの本の挿絵か何かで見たのです。そこにはフェルメールの名前もなく、それから僕はこの絵の作者を探しました。実際の所、それはさほど難しくもなく、僕のように美術の専門でないものにとっても、彼は有名な画家であったからです。

彼について少しずつ調べていくと、非常に興味深い事がいくつか分かりました。その一つが彼の人生です。ここで彼の人生を少し紹介しましょう。1632年、彼、ヤン・フェルメールはオランダのデルフトで、絹織物業と美術商を営む家に生まれました。1653年に彼は結婚、それから1675年、彼は8人の子供と妻を残して43歳で亡くなります。遺産として、19の作品が妻と長女マリアに残されました。しかしながら彼の死後わずか1年後、その内2つの絵は借金の負債として617ギルダーで売られる事になります。

これらの話は、彼がさほど裕福でなく、また彼は他の多くの画家達がそうしたような、海外で絵画を勉強するをいう事をしなかった、いやできなかったのかもしれません。 彼はオランダを、彼の生まれたデルフトを愛しいたのでしょう。彼の秀逸な風景画、『デルフトの風景』にもそれが現れています。一方、彼の人生は彼の作品のように非常にシンプルでしょう。ごく普通の家庭で、家族と過ごした彼の人生。居酒屋も経営していた、僕らと変わらないどこにでもいるような人だったのかもしれません。

20年以上の画家生活にもかかわらず、彼は僅か30数点の作品のみしか残しませんでした。この事を悲しく思い、またかつ寡作のおかげで、彼の絵をすべて見る、という楽しみを残してくれた事に感謝したいと思っています。

この事が、ここで僕が文章を書く第一歩になったのです。



フェルメールの絵とは
Vermeer's Paintings

ここには僕のフェルメールに対する考えや、
彼の絵について思う事について少し触れてみます。


フェルメール作品の年表
Vermeer's Chronology

ここでは世界中にある彼のすべての絵
(閲覧可能なもの) を紹介致します。


フェルメール探訪日記
Diary of Vermeer tour

この日記は僕がフェルメールの絵を訪ねた時のものです。
僕の小さな夢は、彼の絵をすべて尋ねて歩くことです。


ATTENTION
I'm sorry that the following pages are written in Japanese.


これらのページは、僕の個人的な感想、意見及び、K. Wheelock, Jr.氏による本、"Vermeer & the Art of Painting" [英語版のみ、イエール大学出版] の引用に基づいています。また画像や記事の引用の一部は、カリフォルニア工科大学にあ ります、フェルメールのサイト、 "Painting of Vermeer" より利用させて頂きました。

 


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