当時、1990年頃になりますが、僕はフェルメールの名前すら知りませんでした。この絵を何かの本の挿絵か何かで見たのです。そこにはフェルメールの名前もなく、それから僕はこの絵の作者を探しました。実際の所、それはさほど難しくもなく、僕のように美術の専門でないものにとっても、彼は有名な画家であったからです。
彼について少しずつ調べていくと、非常に興味深い事がいくつか分かりました。その一つが彼の人生です。ここで彼の人生を少し紹介しましょう。1632年、彼、ヤン・フェルメールはオランダのデルフトで、絹織物業と美術商を営む家に生まれました。1653年に彼は結婚、それから1675年、彼は8人の子供と妻を残して43歳で亡くなります。遺産として、19の作品が妻と長女マリアに残されました。しかしながら彼の死後わずか1年後、その内2つの絵は借金の負債として617ギルダーで売られる事になります。
これらの話は、彼がさほど裕福でなく、また彼は他の多くの画家達がそうしたような、海外で絵画を勉強するをいう事をしなかった、いやできなかったのかもしれません。
彼はオランダを、彼の生まれたデルフトを愛しいたのでしょう。彼の秀逸な風景画、『デルフトの風景』にもそれが現れています。一方、彼の人生は彼の作品のように非常にシンプルでしょう。ごく普通の家庭で、家族と過ごした彼の人生。居酒屋も経営していた、僕らと変わらないどこにでもいるような人だったのかもしれません。
20年以上の画家生活にもかかわらず、彼は僅か30数点の作品のみしか残しませんでした。この事を悲しく思い、またかつ寡作のおかげで、彼の絵をすべて見る、という楽しみを残してくれた事に感謝したいと思っています。
この事が、ここで僕が文章を書く第一歩になったのです。